2005年11月12日(土) 於:日本生命日比谷ビル7階会議室
日本ワーグナー協会は協会創立25周年事業の一環として、11月11日、13日の2回、日生劇場で上演された舞台神聖祝典劇『パルジファル』(東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 創立30周年記念オーケストラル・オペラVI)を特別協賛しました。マエストロ飯守泰次郎の指揮の下、圧倒的な熱演をしたオーケストラと、日本を代表するワーグナー歌手の入魂の歌唱は、日本でワーグナーの神髄に触れられる滅多にない機会として大きな感動と興奮を呼びましたが、公演中日の12日、同公演の副指揮者およびプロンプターの大任を果たした城谷正博氏による特別講演会が、日生劇場の協力により日本生命日比谷ビルで行われました。
指揮者で新国立劇場音楽スタッフの城谷氏は、今回の『パルジファル』を始めとする多数のワーグナー上演に携わっておいでで、新国立劇場での『ニュルンベルクのマイスタージンガー』公演、ワーグナー作品に共通する和音の問題、今回の『パルジファル』公演の3つの話題を中心に、ピアノと歌で樂譜の抜粋箇所を解説しながら、上演にこぎつけるまでの制作過程での裏話や苦労談等を披露されました。
講演終了後には、城谷氏の案内で劇場見学が行われました。『パルジファル』のセッ トが組まれた舞台の上にあがった会員は、セットの傾斜の強さに驚き、プロンプター・ ボックスや通常より高めに設定されたオーケストラ・ピットをのぞきこむ等、滅多にな いチャンスを楽しみました。講演会は、作品の完成形とも言える舞台上演から窺い知 ることのできない、副指揮者を始めとする裏方の貢献や、作品を作り上げていく現場を 垣間見る貴重な機会となりました。以下はそのまとめです。
ベルント・ヴァイクル演出による
新国立劇場『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
2005年の日本は、ワーグナー・オペラの上演ラッシュとなりました。中でも、ベ テランのワーグナー歌手であるベルント・ヴァイクル氏の演出による『ニュルンベルク のマイスタージンガー』が新国立劇場で上演された9月は、バイエルン国立歌劇場の引 越し公演と新国立劇場による同演目公演が、2日にわたって渋谷区で重なるという異常 事態が発生しました。バイエルン国立歌劇場を取材するために来日したミュンヘンの 新聞に、「オーケストラと合唱の仰天させられるような精密さ、このレベルの上演を聴 くにはバイロイトの緑の丘に行く必要がある」と絶賛されたヴァイクル演出に私は副指 揮者として係ったので、まずそれについてお話ししようと思います。
ハンス・ザックスを168回唄い、それら全てについて詳細な記録を取っているヴァイクル氏の演出がどのようなものになるか、内外から大きな関心が寄せられました。ヴァイクル氏はリハーサルの初日を、「私は歌手の皆さんの声に負担のかかる演出は決してしません」との挨拶でスタートし、出演者一同に大きな拍手で迎えられました。9月14日の初日に向けて8月17日に稽古をスタートし、1ヵ月で大作を舞台に載せるという非常に厳しいスケジュールで、てきぱきと大雑把とも言えるリハーサルが進められました。ヴァイクル氏は、演出家としてすばらしい面と難しい面を併せ持っています。プロンプターとして、私は歌手の毎日のコンディションが手にとるようにわかる立場にいました。ワーグナー作品の中でも、ヴォータンやブリュンヒルデの役柄の大変さについては頻繁に語られますが、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の役柄についての記述は比較的少ないと言えます。実際にこれらの役柄がどのようなものであるか、また歌手がどう演じているかについて説明しましょう。
主要な役柄それぞれの困難さ
ヴァルター・フォン・シュトルツィング
ヴァルターは、前奏曲が終わると、第1幕の間舞台に出ずっぱりです。実際に歌い出すのはポーグナーに問いかけられてからなので、それまでにかなりの間があります。ずっと唄っているわけでなくても、歌手にとってこれはかなりの負担です。第1幕後半には難しい歌が立て続けに出てきます。最後の部分に入って「昇格試験の歌」を歌ってみますが、ここは、12人の親方と女性合唱の声を飛び越えて唄うという過酷な場面で、ここでばててしまう歌手も少なくありません。第2幕の出番は多くありません。特徴的な早口の歌があり、その後は木の影に隠れて、ザックスの歌を聞いて少し口をはさむ程度です。
これに対して、第3幕はヴァルターにとって非常に困難な幕です。「夢の歌」は難解で、暗譜の問題が浮上してきます。1つの歌の中に似たようなメロディーで3つのストーリーが含まれていて、これが第3場まで続きます。その後、野原で歌う「懸賞の歌」が更に違うメロディーです。似たような節に色々な歌詞が付いていて、暗譜は非常に困難です。実際のところ、ヴァルターの歌はマイスターの考える規則にのっとってはいないのですが、歌その物のすばらしさに大衆が賛同してしまいます。この「懸賞の歌」には3つのフレーズがあります。1フレーズが終わるごとに、合唱団等が歌の余りのすばらしさに口を挟み、特に3フレーズ目では唄っている途中に割り込んできます。この「懸賞の歌」は歌手の喉に大きな負担がかかる難曲で、併せてヴァルターには、合唱団が見守る中で最高の歌を聞かせなければならないという重圧がのしかかります。
ジクストゥス・ベックメッサー
ベックメッサーの暗譜の大変さはヴァルター程ではありませんが、非常に難しい部分が含まれています。ヴァイクル演出でベックメッサーを演じたマーティン・ガントナー氏にとっては今回が初役でしたが、周到な準備をして来日し、演技もこなれて、良いキャラクターとすることに成功しました。第2幕の、ベックメッサーがリュートを持ってきてエーヴァにセレナーデを聞かせる場面の歌詞は、理屈にはまらない書き方をされています。ここは、ドイツ人の彼をもってしても覚えるのが難しく、リハーサルの間は常に手元に紙をおいて、暗譜の努力をしていました。実際のところ、ここは、ドイツ語がわかる人にとっての方が、丸覚えすればよい外国人より難しいかもしれません。余談ですが、この場面で伴奏に使用されるベックメッサーハープを用意できる劇場は少なく、新国立劇場ではやや小型のアイリッシュハープ・タイプの物で代用しました。
ダーヴィット
今回この役を演じた吉田浩之氏は大変すばらしい歌を聴かせてくれました。脇役ではありますが、第1幕第2場でヴァルターに歌の規則を延々と話す等、脇役にしては大変重要な場面があります。ここは言葉数も多く、非常に困難です。指揮者のシュテファン・アントン・レック氏は気まぐれで、その日の気分でテンポが極端に変わる傾向があります。歌の規則の場面のように長く歌うところでテンポがゆれると、歌手には過酷です。前もって吉田氏と良く話し合い、副指揮者は、指揮者のテンポを読みながら、プロンプター・ボックスの中でわかりやすく指揮することにしました。オーケストラのタイミングもあり、歌手にとってすべてに気を配ることはとても困難です。そこで吉田氏は、8割がたプロンプター・ボックスを見ながら、揺れるテンポに非常にうまくつけて最高の歌を唄い、盛大な喝采をあびました。
ハンス・ザックス
ザックスを唄ったのはペーター・ウェーバー氏です。この役は唄う量が非常に多いため、終幕までテンションを保つのが第1の難点です。第1幕の歌唱量は余り多くありません。ヴァイクル演出でザックスは目立たない位置に座り、セーブした唄い方をしました。
第2幕にザックスの最初の見せ場がやって来ます。エーヴァとの会話があり、ベックメッサーの邪魔をするために戸外に座って靴を作りながら、大声で唄い始めます。ウェーバー氏によると、これはフルヴォイスで唄うと非常に消耗する歌なので、パワーを使い切らないように楽に唄い、第3幕の長丁場に備えるそうです。ザックスはその後ベックメッサーの歌の審判をすることになり、その方法として靴を叩きます。ワーグナーは、ほとんど意地悪とも思える程律儀に、靴をたたく場所をスコアで指定していて、いかにして叩くかは大きな問題です。これについては後程お話しします。
続く第3幕、ザックスは出ずっぱりです。前奏曲から舞台上にずっと座っていて、ダー ヴィットの相手をした後、「迷妄のモノローグ」があり、次に、難解なレチタティーヴォ の含まれたヴァルターとの会話が来ます。この後、着替えるために一旦舞台裏に入り ますが、再登場後、ベックメッサーがやってきてやりとりがあり、次にエーヴァがやっ てきてその相手をすることになります。このあたりからが大変になってきます。ヴァ ルターがやってきて、自分の歌の第3節を歌った後、自暴自棄の気持ちを表します。 パワーを見せなければいけないザックスにとっては、非常に重要で困難な場面が続きま す。有名な「トリスタンの動機」の引用があり、5重唱へと続きます。ここに至る 場面では、ザックス1人が非常に言葉数の多いメロディーを1人で唄い続けなければな りません。ここでザックスは約12~3分の間ようやく一息つけますが、野外の場面 になって再登場します。大衆を前にして演説をしますが、この歌がこれまた難曲です。 当然のことに、オーケストラも後半は非常に盛り上がってきます。
第3幕前半は屋内の場面です。ここでは装置に囲まれて、歌手にとって有利な舞台造りになっていることが多いため、むき出しの野外の場面になると、ザックス役の歌手のパワーが急に減少した印象を受けることが多々あります。今回のヴァイクル演出ではこれも十分に考慮されていて、歌手は野外の場面でも装置に囲まれていたので、後半に来てザックスの声が衰えた印象は余りなかったと思います。この場面が終わると、ヴァルターがマイスターになることを拒否し、マイスターにならずに幸せになりたいと言うのを諭す、ザックスの有名な演説があります。ザックス役の歌手は、ここに来て最高の声を聞かせなければなりません。ザックスにとり、第3幕は気の抜けない聞かせどころが満載で、そこにうまく照準を合わせるのは至難の技ですが、ウェーバー氏はうまくペース配分をしていました。
今回の新国立劇場公演にはもう1つ難題がありました。9月14日が初日で、3日に1度、全7回上演しましたが、このようなスケジュールでこの大作を上演することは世界中どこを探しても余り例がなく、無謀とさえ言えます。ウェーバー氏はうまく配分して7公演すべてを唄いきり、観客だけでなく、関係者にも大きな感動を残しました。
合唱
第1幕冒頭の教会の場面を、合唱は舞台裏で歌いました。この場面の後は、第2幕のけんかのシーンまで休み、その後は第3幕の祝祭のシーンまで出番がありません。合唱団の中でけんかの場面に登場しない人は、第1幕から最後までお休みです。4時開演の場合、4時25分に出番が終わり、次に登場するのは9時10分なので4時間半ひまになります。休憩時間の長いバイロイトでは、一旦帰宅して、映画を見たりひと泳ぎしたりして戻ってくる人もいますが、ヴァイクル演出でも、合唱団員が夫々に工夫して時間を過ごしていたようです。『パルジファル』には合唱団の出番が多いように思えますが、第1幕が終わると第3幕のティトゥレルの葬儀の場面まで出ないため、実際はそうではありません。このように、公演の陰には、時間配分に苦労する合唱団員の存在があります。
物を叩かせる記述
先程ザックスの所でお話ししましたが、靴叩きの場面ではスコアに叩く場所が細かく指定されています。ワーグナー作品には、打楽器奏者に物を叩かせる記述が頻繁に出てきます。代表的なのは『ジークフリート』第1幕の「鍛冶の歌」で、非常に難しい場面です。物を叩く記述は初期の作品に多く、『リェンツィ』では合唱団に剣を盾に打ち付ける音を出すように楽譜に記述しています。『ローエングリン』の第1幕では、テルラムントの決闘の場面の始めで王様が開始の合図をします。これも打楽器的要素を含んでいます。
ワーグナー作品に初めて本格的に打楽器的要素が入ってくるのは『ニーベルングの指環』でのことです。『ラインの黄金』の終幕近く、ドンナーがハンマーを打ち下ろす場面では、楽譜にそのタイミングが記されています。新国立劇場では、第2場と第3場の場面転換のカナトコを叩くシーンに録音を使用しました。『ヴァルキューレ』第3幕で、ヴォータンはブリュンヒルデを寝かせた後でローゲを呼ぶために槍をつきます。 新国立劇場公演では、モニター室でアシスタントが音を出していましたが、これはタイミングを合わせるのが難しい場面です。二期会の『ヴァルキューレ』でも、この場面に録音を採用しました。アシスタントがタイミングを見計らってスイッチを押すのですが、押してから実際に音が出るまでにタイムラグが生じる場合もあり、正確に見計らうのは困難です。二期会の『さまよえるオランダ人』では幽霊船の合唱が録音で、スイッチを押すのにハラハラしました。このような場面では、指揮者もオーケストラと合唱を合せるのに緊張します。『ジークフリート』冒頭のミーメがカナトコを叩く場面は、中々印象的な出だしです。ジークフリートの「鍛冶の歌」では、強弱3種類の叩き分けが要求されていますが、これを譜面どおりに実現することは中々できません。ミーメの場合はもっと細かいハンマーで叩くわけですし、とても大変な要求がされているのです。
ワーグナーと和音
オペラの制作現場で仕事をする者として、ワーグナーの和音に非常に興味を感じています。『ニーベルングの指環』を担当した時から、ワーグナーの和音に1つの流れのようなものを感じることがあります。 次に、指揮者の観点から和音についてお話ししましょう。
「災い」の和音
和音は『パルジファル』にも頻繁に出てきます。古典的な和音は、ド、ミ、ソを始め、3度の積み重ねが基本になっています。和音を分解して下の方向に見てみると「指環の動機」になります。色々な作品で3度の和音の使い方がとても気になります。『ラインの黄金』でアルベリヒが手下に「恐れおののけ!」とパワーを見せ付けるシーンがあり、ここでは、「指環の動機」に続いて「苦痛の動機」が出てきます。「指環の動機」が元になって「ワルハルの動機」が出来ています。アルベリヒの「のろいの動機」のような4つの和音、『ヴァルキューレ』でも同様な種類の和音が多数出てきます。中で最も重要なのは、ジークムントが最初にジークリンデと出会った時に出てくる「災い」の和音です。「災い」の和音のつくりも3度が元になっています。「災い」の和音の並びを変えてオクターブを上げると、同じ形の和音が『トリスタンとイゾルデ』にも使われています。
『ジークフリート』第3幕に、2本のクラリネットが奏でる、うごめくような非常に美しいメロディーが出てきます。ジークフリートは火の中を潜り抜けてブリュンヒルデを見つけますが、最初はこれがブリュンヒルデで女性とは気付かず、男性がいると思います。武具をまとっているので、これを取ってあげようと考える場面です。その時、「剣の動機」が最初はホルンで奏でられ、その後クラリネットが加って3度の動きが続き、ジークフリートの「これは男性ではないのか?」という逡巡の後、「Das ist kein Mann!」という有名なせりふになります。このような3度の使い方もあります。また、ブリュンヒルデが目覚めた直後にも、印象的な3度の和音が使われています。
これに良く似たパターンとしては、『神々の黄昏』第1幕後半、ヴァルトラウテがやってくるシーンで、場面転換の音楽の中にクラリネットによる非常に美しい3度のメロディーが出て来ます。この作品中非常に重要な役割を果たしているのが、実は先程ご紹介した「災い」の和音です。
「災い」の和音は、ハーゲンが唄う「見張りの歌」の中で、『神々の黄昏』中初めて登場します。 この歌は、ハーゲンの指環奪還への執念、策略、ジークフリートやグンター、自分自身に対する心情の表明が出てくる作品中非常に重要な場面です。そこにこの和音が初めて登場するのは意味深いことだと思います。この後、『神々の黄昏』の中で、ドラマの分岐点には必ずこの和音が出て来ます。ヴァルトラウテがブリュンヒルデに現状と経過報告をする中で、ヴォータンが2羽のカラスを飛ばすという話をする時にも、同じ和音が異なった調で使われています。そして、ヴァルトラウテがブリュンヒルデに「指環をラインの娘達に返して」という箇所でも、その背後に流れているのはこの和音です。ここで指環を返せば話は終わってしまうわけです。
この和音は第2幕、第3幕にも様々な形で登場してきます。ジークフリートがからむ第3幕の場面に、ラインの娘達に出会って指環の返還を求められるシーンがあります。拒絶された娘達が「持っていれば良いわ。そうすれば禍いが訪れる」と唄う場面にこの和音が出てきます。ここでも、指環を返さないことで話が進んで行きます。このような場面には必ずこの和音が使われているのです。
グンターの一行がやってきて、ジークフリートは記憶を取り戻し始めます。ジークフ リートが美しいメロディーで唄うのを聞いていたグンターが「Was hör’ ich!」という場面では、解決をしていない異常でおぞましい和音が鳴り、災いの訪れを予感させます。案の定、その後にジークフリート殺害の場面が続くわけです。カラスが飛び立っていく場面を表現する音を良く見てみると、「災い」の和音が繋がってできていることがわかります。
ブリュンヒルデが自己犠牲の最後で、「カラス達よ、ヴォータンの所に飛んでいけ!」と言う場面にも同じ和音が登場します。その後16分音符が流れ、カラスのざわめきの和音となります。これからもわかるように、ドラマの転換点では必ず「災い」の和音が使われているのです。『パルジファル』の「アムフォルタス!」という場面でもこの和音が使われています。
余談ですが、私が2005年に読売交響楽団の『神々の黄昏』第3幕公演で合唱指揮を担当した時のことです。「ハーゲン、何をするのだ!」は通常重々しく演奏されますが、マエストロ・アルブレヒトがわざわざ私の自宅に電話してきて、「この部分を遅くしないでくれ」と指示されたことがあります。これにはマエストロのこだわりがありました。 これからもわかるように、1つの場面にも色々なやり方があるのです。
『パルジファル』でも、ドラマ上重要な場面には必ずこの「災い」の和音が登場します。第1幕で最初にこの和音が出てくるのは、グルネマンツが色々なことを語る場面です。2名の小姓がクンドリーについて、「災いばかりをもたらす異教徒で魔性の女」と言う時、また、アムフォルタスが第1幕後半で儀式を行うことを拒否して「憐れみたまえ!」という痛々しい絶叫にも含まれていて、その後の「アムフォルタス!」に繋がって行きます。第2幕のクリングゾールの魔城の場面にも頻繁に出てきますが、面白い場面としては、最初、まだ眠りから覚めやらぬクンドリーがアムフォルタスと言い争って、「ご貞潔なわけね!」と去勢したクリングゾールを嘲る場面に出てきます。また、第2幕後半で、「私は泣けないの」というパルジファルへの訴えの時にも聞かれます。
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 創立30周年記念
オーケストラル・オペラVI『パルジファル』
日生劇場での『パルジファル』上演は大きな困難を伴いました。『パルジファル』は元々バイロイト祝祭劇場のために書かれた作品であるため、音響的な問題があります。合唱についても、1番高いところから聞こえてくる、とか、中間の高さから聞こえてくる等、場所の指定さえあり、それを解決するのは大きな問題です。 では、実際に合唱団はどのように唄っているのでしょうか。本来高い位置で唄うべき合唱団ですが、スペース的な問題から奈落に配置し、音響的処理で天上から聞こえるようにしています。また、第1幕と第3幕の儀式の場面の鐘の音には、シンセサイザーを使用しました。クレッシェンドしたりディミヌエンドしたり、鐘の音にも音響的処理が必要で、スタッフが2人1組で音量調節を担当しました。
アムフォルタスの父であるティトゥレルとアルト・ソロは舞台上には登場せず、舞台裏から声のみが聞こえてきます。ティトゥレルの声には、お墓の中から聞こえるような音質が必要とされます。一方、アルト・ソロの出番は5小節しかありませんが、非常に重要です。演出家の鈴木啓介氏は日生劇場を熟知していて、理想的な音質を得るため、試行錯誤を重ねてアルトの立ち位置を決めました。
合唱については、オーケストラの音を奈落に流して副指揮者がそれに合わせて指揮しています。これは、副指揮者の大切な舞台裏の仕事の1つで、弦楽器の小さい刻みとか、トレモロのみだったりと、細かい音形しかない場面もあり、それにきちっと合わせて行くにはかなりの技術を必要とします。ワーグナー作品を熟知している飯守先生の指揮は非常に内容のあるものですが、時としてわかりにくい指揮でもあり、それを読み取って細かいところを正確に合わせるのは困難な場合があります。先生の小刻みな手の動きから細かいところを読み取るのは難しいので、合唱は副指揮者を見て合わせるようにします。そのような困難がオペラ上演では時として起こるので、それを調節するのも副指揮者の仕事です。
注目に値するのは第2幕の花の乙女達の場面で、ワーグナーはスコアに「4分音符振りではなくて、1つで振るように」と指揮者への注意を書き込んでいます。ただ、この指示通りだと、確かに音楽の内容には合っているのですが、正確にどこで声を出すかがわかりにくく、アンサンブルが非常に難しくなります。実際のところ、舞台上の歌手にはオーケストラの音はほとんど聞こえません。聞こえない中で指揮棒だけを頼りに歌うのは困難なため、副指揮者はワーグナーの指示にそむくことになりますが4分音符で振っています。歌詞のきっかけをつかむためには大事な箇所であるため、そのような細工も必要なのです。この場面の難しさは指揮者にも良く知られていて、かのクナッパーツブッシュもこのシーンだけは練習した、と言われています。上演の過程で様々な問題が発生するので、歌手は指揮者よりも副指揮者を見ていることもあるのです。
オーケストラが通常より高い位置にいる今回の公演では、オーケストラ・ピットがもぐっているバイロイト等と比較して、音響的な問題があります。これは、バイロイトでは音量を落とすためにピットを舞台の下に配しているのに対して、飯守先生はあえてオーケストラを表に出すためで、文化会館での一連の『ニーベルングの指環』公演の時から存在した問題です。今回も、オーケストラがフルに鳴り、歌手の声を吹き消す様な場面では細かい処理をしてあります。結果的に、文化会館での上演よりは日生劇場の方が問題が大きくならずにすみました。特別にPAで大きくしていると言うこともなく、非常に自然な形でバランスをとることができ、控えたためにオーケストラの音が弱くなると言うことも少なかったと思います。
日生劇場には音が響きにくいという問題があり、これについては飯守先生が最初から非常に苦心しました。 言うなれば、バイロイトと正反対の感覚です。弦楽器の音の終わりの処理を例にお話ししましょう。たとえば、4分音符で簡単に終わるように書かれている所の音をちょっと余韻をつけて弾くとか、プツッと切れてしまわないように、音の弾き方1つ1つに非常に細かい所で工夫をしています。東京シティ・フィルハーモニック・オーケストラについては常のことですが、今回も非常に細かい所に気を使って音の響きを作っていました。
飯守先生は5年前に尼崎で『パルジファル』の指揮をしていますが、先生自身、登場人物の解釈に5年前と今では違いがある、と言っています。一例を挙げると、パルジファルを唄った竹田さんに、5年前は英雄的なパルジファルを要求したのに対して、今年は「もう少し痛みを前面に出して下さい、」と指示していました。「アムフォルタス!」の場面は絶叫調で唄われるのが常ですが、今回はただの絶叫ではなく、内なる痛みが含まれる叫びだとの解釈です。クンドリーから「お母さんは死んだのよ」と言われたパルジファルが「Weh!」と言う場面がありますが、大きく唄わないで、中に痛みを感じた唄い方にするように指示する等、細かい点についても音楽的な指示がありました。
これも余談になりますが、コントラファゴットは『ニーベルングの指環』ではほとんど使われていません。『ジークフリート』のスコアを見ると、1番最初の低いa音のためにコントラファゴットのパートがあります。 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の場合、本当に僅かな数の音符のためだけにコントラファゴットを用意することはせず、ファゴット奏者が楽器にアクセサリーを付け、隣同士でaとbというように違う音を吹いて切り替えることで乗り切りました。一方、『パルジファル』ではコントラファゴットが大いに活躍します。 そこにも注目して公演をご覧いただくと、よりいっそうお楽しみいただけるでしょう。