(2006年10月23日、ドイツ文化会館OAGホール)
新国立劇場の『イドメネオ』公演のために来日中のジョン・トレレーヴェン氏をお迎えし、去る10月23日、東京青山のドイツ文化会館OAGホールで、日本ワーグナー協会の特別例会が開催されました。トレレーヴェン氏と言えば、ワーグナー上演には欠くことのできない貴重なヘルデンテノールとして、世界の歌劇場から引っ張りだこの存在です。今回は公演中であるにもかかわらず、協会の例会に出席することを快くご承諾頂きました。新国立劇場の協力により実現した今回の特別例会は、第1部ではトレレーヴェン氏にワーグナー・オペラから2曲を披露して頂き、第2部ではインタビュー形式でお話を伺うという豪華版。秋の嵐のような悪天候にもかかわらず会場を埋めた約120名のお客様は、世界第一線で活躍するワーグナー歌手の迫力ある歌唱を堪能すると同時に、その内面に触れる貴重な機会を満喫しました。
ピアノ伴奏は、新国立劇場のコレペティとしても活躍される大藤玲子氏です。トレレーヴェン氏が情感たっぷりにまず披露したのは、『トリスタンとイゾルデ』第2幕から『Wohin nun Ttristan scheidet, willst du, Isold’, ihm folgen?』。続いて『ローエングリン』から、『名乗りの歌』としておなじみの『In fernen Land』が絶妙のコントロールで唄い上げられ、会場は大きな感動に包まれました。ホールがオペラ座に変わったような一時に、超一流歌手の力量をみせつけられた観衆は、心からの拍手を惜しみなく送りました。
第2部はお話です。トレレーヴェン氏への質問を前もって会員に募り、杉山広明協会専務理事が進行係、堀内博美の通訳で進められました。1時間という短い時間でしたが、デビューのいきさつ等も飛び出し、トレレーヴェン氏の温かく素晴らしいお人柄の伝わる楽しい一時となりました。以下はその要約です。
3度目の日本の印象
杉山:本日は非常にタイトなスケジュールの中、日本ワーグナー協会の例会においで頂き、誠にありがとうございました。また、モーツァルトの本番の合間を縫ってワーグナーを唄うという、私共のわがままなお願いをご快諾頂き、心より御礼申し上げます。協会には『トーキョーリング』以来、トレレーヴェンさんのファンになった会員が大勢いて、今日の例会をとても楽しみにして来ました。新国立劇場での『神々の黄昏』は既に1年6ヵ月も前のことになりますが、『トーキョーリング』について、また東京での滞在について特別な思い出はありますか?
ジョン・トレレーヴェン(以下J.T.):初めての東京は、コーンウォール出身の私の心と精神に大きな印象を残しました。初来日した時の第1印象をお話しましょう。成田空港到着後タクシーに乗り、15分もすると高層ビルが見えてきます。東京はすぐそこだと思ったのですが、ご存知のように東京までまだ1時間以上もかかります。私は、大都市であるロンドンに何年も住んだことがありますが、それでも東京の巨大さには驚嘆しました。これまでに、新宿駅でいかにして適切な出口を見つけるか、というテーマの学術論文が書かれたことがあるか、是非知りたいものです。大分慣れましたが、今でもこの駅を利用するのは、私にとって魅力的なチャレンジと言えます。
冗談はこれくらいにして、もう少し真面目にご質問にお答えしましょう。新国立劇場で唄うのは今回が3度目ですが、とても良い印象を受けています。東京の皆さんは本当に素晴らしい劇場を造られたと思います。音響面が優れている他、視覚的側面も熟考されていて、ほとんど全ての席から遮られずに舞台が見えます。このような劇場は稀です。舞台裏は常に和気藹々としています。スタッフは敬意を持って接してくれ、とても勤勉で、いかなる要望にも応えようと常に一生懸命です。3回もこの劇場に招かれるのは大変名誉なことであり、私にとって常にとても幸せな経験です。今後も是非ここで唄いたいと思っています。
ワーグナー協会の皆さんから、私のパフォーマンスに深い感動を覚えた、という大変ありがたいお言葉を頂きましたが、皆さんにも同じ言葉をお返ししたいと思います。『ジークフリート』初日のカーテンコールはとても感動的で、アーティストとしての私の人生の中で、決して忘れることの出来ない思い出となりました。
杉山:今回久しぶりに新国立劇場に客演されて、劇場の運営や東京の聴衆の反応などについてどのように感じられましたか?前と変わったこと、気が付いたことなどはありますか?
J.T.:多数のワーグナー上演に係ってきた経験から申し上げたいのは、当然のことですが、モーツァルトとワーグナーの観客は違うということです。モーツァルト・ファンの方に失礼なことを申し上げるつもりはありませんし、昨夜の公演のお客様はとても素晴らしい方達でした。でも、ワーグナーのお客様は、公演を評価しているということを見事に表現する方法をご存知だと思います。ワーグナー作品の上演には5時間以上もかかりますが、終演後も長い間拍手して、公演を好意的に評価したことを我々に伝えずにはいられないようです。まるで、内面の感動を解き放とうと、ワーグナー作品の壮大さが、『ジークフリート』や『神々の黄昏』の最後に観客に乗り移るかのようです。
劇場の運営陣にもとても親切にして頂き、トーマス・ノヴォラツスキー・オペラ芸術監督からは、『イドメネオ』を新国立劇場のお客様のために唄うことに対してご丁寧なお礼状を頂きました。
トレレーヴェン氏とレパートリー
杉山:トレレーヴェンさんのご活躍は、奥様のロクサーヌさんがメンテナンスされている公式ホームページ(www.johntreleaven.com)で拝見できますが、それによると、2003年以来、来年の予定を含めて、38演目を歌われており、その内容は、『トリスタンとイゾルデ』、『ジークフリート』、『神々の黄昏』、『ローエングリン』、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』、『ワルキューレ』、『大地の歌』、『グレの歌』、『エジプトのヘレナ』、『影のない女』、『イドメネオ』と、ワーグナー作品が全体の7割以上を占めています。名実共に現代最高のワーグナー歌手の1人で、最近のCDもワーグナーが主体となっています。一方、『大地の歌』や『グレの歌』という興味深い曲目も入っています。とてもリリカルでありながら、演技とあいまってドラマチックな表現が可能な方だという印象を受けます。デビュー以来、これまでに唄われてきたワーグナー以外の主要なレパートリーと、それぞれの位置付けについて聞かせて頂けますか?
J.T.:『ピーター・グライムズ』はこれまで何回も唄ってきて、公演回数は80回に上ります。私はこの役にとても親しみを感じています。私の父は漁師で、私は小さな漁村に生まれました。ですから、『ピーター・グライムズ』の世界に登場する人物には、すべて誰か思い当たる人がいます。唯一の例外はセドレー夫人です。彼女はとてもダークな人物で、さすがにここまで邪悪な人には思い当たりません。『カルメン』、『アイーダ』、『西部の娘』も何回も演じました。私を常に惹きつけるのは、オペラに登場する常軌を逸した人物、言い換えると、色々な側面を持っている人物です。失礼になりたくはないのですが、『イル・トロバトーレ』を唄いたいとは全く思いません。その理由は、登場人物が余りにも寡黙であるため、人物像を組み立てるのが極端に困難だからです。音楽は美しく、素晴らしい歌手による『イル・トロバトーレ』を聴くのは大好きです。確かに音楽的には素晴らしい作品ですが、劇場作品という観点から見ると、余り興味を感じられないのです。
ワーグナー以外で関心がある役柄は偉大な歴史的人物達で、将来是非唄いたいと熱望しているのは『オテロ』です。先輩のテノール歌手の中にもこの役を唄わなかった人が大勢いますし、キャリアの晩年で唄う人も多いので、まだ機会に恵まれないことに絶望してはいませんが、いずれ唄いたいと考えています。この他、是非舞台上で演じたいのはアンドレア・シェニエで、それは、シェニエが歴史のどの時代を背景とする人物で、何を象徴しているかを表現したいからです。
ワーグナーとモーツァルト
杉山:今回の来日ではモーツァルトの『イドメネオ』を素晴らしく唄われていますが、ワーグナーとモーツァルトでは、発声や言葉、演技など、多くのことを切り替えなければならないのでしょうか?特別な苦労はありますか?
J.T.:とても興味深いご質問ですが、これについては実は先程2つの例があげられたばかりです。1部で唄った『トリスタンとイゾルデ』の導入部と『ローエングリン』の『名乗りの歌』の始まりは、共にこの2作品中きわだって叙情的な場面と言えます。基本的には、どんな役柄にも叙情的な歌唱法でアプローチすべきなのです。その理由は主として、プロの歌手としての寿命の問題です。叙情的な美しさで唄っていれば、声帯を痛めつけるような唄い方をするより長い間唄い続けられます。今回再来日してモーツァルトを唄うのは、歌唱法を見直す絶好の機会となりました。モーツァルトの音楽は非常に透明度が高く、一つ一つの音が観客の耳に明確に聞こえます。一方ワーグナーはと言いますと、大編成のオーケストラが織り成す音のタペストリーの中で、歌手はその瞬間に出さなければならない音を正確に出せなくても、音の織物全体の中で許されてしまうことがままあるのです。
生い立ちと、歌手への道
杉山:次はトレレーヴェンさんの熱烈なファンからの質問です。どのようにしてオペラ歌手になったのですか?生い立ち、家庭環境とか、合唱団に入っていたとか、その他特別なきっかけはありましたか?
J.T.:父が漁師だったことはもうご存知ですね。母は美容師でした。私は音楽一家の出身ではありませんが、幼い頃から教会の聖歌隊で唄っていました。私が生まれ育ったコーンウォールには昔から男声合唱の伝統があり、私も十代の始めに合唱団の一つに加わりました。また、ブラスバンドのメンバーでもあり、Eフラット・テナーホルンを担当していました。始めはトランペットを吹いていたのですが、マウスピースが私には小さ過ぎたのです。トランペットについてはおかしなエピソードがあります。私のトランペットの練習が神経にさわった母が、「お願いだから庭の1番遠いところで練習してちょうだい、」と言うのでそうしたのですが、それも隣家のお百姓さんがやってくるまでのことでした。そのお百姓さんに、「お願いだからトランペットはやめてくれない?牝牛がミルクの入ったバケツを蹴ってひっくり返すから、」と言われ、やめざるを得ませんでした。これは本当の話です。
私にとってとても幸運だったのは、私の歌を偶然耳にした人がいたことです。今でも泳ぐのは大好きですが、当時は、仕事が終わった後に泳ぐのが日課でした。コーンウォールの海は暖かく、冬までかなり長い時期泳げます。ある旋律が気になったり、合唱団で覚えなければならない曲があると、私は泳ぎながら唄ったものです。そして、たまたま、ロンドンの大学に関係のある女性が、泳ぎながら唄っている私の声を聞いたのです。17歳の時でした。この女性は、後に私の個別指導教授となるウィリアム・ロイド・ウェーバー氏のアシスタントをしていました。ウィリアムは、作曲家のアンドリューとチェロ奏者のジュリアン兄弟の父親でもあります。私をオーディションすると、ウィリアムは彼の性格に反することなのですが、その場で誰にも相談せず、私の人生を決める決断を下しました。私を彼の大学に受け入れると即座に決定したのです。入学資格や財政状況等、質問は一切せず、彼はその時その場で、「この人にはチャンスを与えるべきだ、」と決めたのです。それからのことについてはいくらでもお話できますが、私を大学に受け入れてくれた敬愛するロイド・ウェーバー氏の精神的強さと勇気には、永遠に変わることのない感謝の気持ちを持ち続けている、とだけ言っておきましょう。
トレレーヴェン氏とワーグナー、新進の歌手へのアドバイス
杉山:まだまだ伺いたいのですが時間に限りがありますので、続きは次回聞かせて頂きましょう。次にトレレーヴェンさんとワーグナーの関係について伺いたいと思います。ワーグナー協会の会員は皆、あるきっかけからワーグナーに「はまった」という経験を持っています。トレレーヴェンさんはどのようにワーグナーと出会い、深く係るようになったのですか?もうワーグナーから逃げられないと感じたのはいつ頃でしょうか?
J.T.:「はまる」と言うのは中々良い表現ですね。皆さんもご存知と思いますが、1度ワーグナーという虫に噛まれたら、その魔力から逃れる希望はほとんどありません。ワーグナーの音楽は全てを内包していると心の底から思います。プロの歌手としての生活の大きな部分を、ワーグナー作品の精神的、心理学的、生理学的側面を解明し、深く掘り下げることに費やせることを、私は大きな恩恵と考えています。とは言え、ワーグナー氏本人にお会いする必要がないことを嬉しく思います。ワーグナー氏については文献が沢山ありますが、それらによると、彼は余りおつきあいしたくない類の人物だったようです。
ワーグナー作品との最初の出会いについては、母に負うところが大きいです。私が生まれ育ったコーンウォールの地域には、昔も今も、生の舞台を見られる劇場がありません。劇場もオペラ座もなく、クラシック音楽を聴こうと思えば録音に頼るしかありませんでした。母はかなり若い頃に『楽しみのための音楽(Music for Pleasure)』を購入しました。これは、色々な作曲家の作品を集めたレコードのセットで、イギリスでは当時まだとても若かったアンドレ・プレヴィンによって紹介されました。そして、その最初のレコーディングがワーグナーの『タンホイザー』だったのです。『巡礼の合唱』に衝撃を受け、その場に立ち尽くしたのを今でも覚えています。でも実際のところ、当時の私の関心は指揮にありました。歌ではなく、指揮が出来るようになるために、この音楽を理解したいと熱望したものです。
杉山:でも、指揮者ではなく歌手になられたわけですが、最初にワーグナー・オペラで役が付いたのはいつ、どこで、何の役でしたか?
J.T.:最初に役がついたのはイングリッシュ・ナショナル・オペラの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』公演で、フォーゲルゲザング役でした。当時、私はまだロンドン・オペラ・スタジオの学生でした。ハンス・ザックス役はノーマン・ベイリーで、それは素晴らしかったことを覚えています。彼からは多くを学びました。この『マイスタージンガー』は、私にとって願ってもないチャンスでした。テノール歌手にとり、長いこと舞台上にいながら余り唄わないでいられる機会はそれ程ありません。あらゆる年代のテノール歌手にとって最も困難なことのひとつに、余り観客の目にさらされずに、いかにして経験をつむかと言うことがあります。これはとても難しいことです。フォーゲルゲザング役なら、舞台上にいて、他の歌手達の歌を聴くチャンスに恵まれるのです。
ガブリエレ・シュナウトは日本に何度も来ていますし、皆さんにもお馴染みでしょう。そのガブリエレがかなり以前に私に言ったことがあります。「ジークフリートやブリュンヒルデを唄うと決めるのは、片道切符を買うようなもの。一旦これらの役を引き受けたら、もう後戻りは出来ないのよ。」彼女はなんと正しかったことでしょう。この困難な役柄に取り組むのは、肉体、精神、声帯の全てにおいて、準備が十分出来ていると確信できるまで待たなければなりません。なぜならば、早すぎて準備が出来ていない時にこれらの役柄に取り組むのはとても危険だからです。若い同僚の歌手達にこのことを理解してもらおうと努力しているのですが、偉大な役に取り組めると言う興奮と、チャレンジすること自体が、歌手にとってはとても大きな魅力なのです。英語で「いいえ」を表す「No」は世界で最も短い言葉のひとつですが、時として、言うのが最も難しい言葉のひとつでもあります。
『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のヴァルター・フォン・シュトルツィングは、初めて聴いた時から最も唄いたかった役のひとつです。初めて『受賞の歌』を聴いた時、「なんて素晴らしい音楽だろう。いつか唄えると良いなあ、」と思いました。本当に唄いたかったからこそ、「完全に準備が出来たと確信できるまでは唄うまい、」と心に決めました。事実、私は最終的にこの役を唄うまでに、劇場からの出演依頼を3度断りました。3度目に断った時のことは妻もよく覚えていますが、「今回断ったのは失敗だったかもしれない。オファーは2度と来ないのではないか?」と思いました。幸いなことに、それは私の杞憂に過ぎず、現在でもこの役の出演依頼を沢山頂いています。それに、人生の今の段階になってようやく、この役にアプローチすべき方法でアプローチできるようになった、と感じています。待つことは絶対に必要なのです。これらの役を征服するには、既にお話したように、精神面、肉体面、声の全てにおいて、強靭さが要求されます。
トリスタン
杉山:次にトリスタンについて伺いたいと思います。これまで、トリスタン役の歌手が、最後まで唄いきれずにパンクしてしまう公演を何度となく観てきました。トリスタンが難役と言われる理由は何でしょうか?体力面での負担、音楽面での難しさ等々ありますが、ワーグナーの諸役を歌うにあたり、長い舞台の中で苦しい箇所が訪れた時は、声楽的、精神的にどう乗り切られていますか?
J.T.:この質問は、会場にいらっしゃるヘルデンテノールの方からのものですか?既にお話した肉体面、精神面の強靭さは、公演の最後までトリスタンを唄いきれるかどうかに大きく係ってきます。ジークフリートやトリスタンを初めて唄うことになった歌手は、公演の前に「最後まで唄いきれますように!」と強く願い、神様にお祈りすべきで、また、劇場の運営陣も、同様に願い、祈らなければなりません。「あなたの次のトリスタンを私に唄わせてください。私にはできます、」と劇場運営陣に宣言する歌手と、「あなたにこの役を唄ってほしい、」と歌手に依頼する劇場の間には、強固な信頼関係が必要です。
最初にトリスタンを唄う前に、私はたっぷり1年間かけて準備しました。トリスタンという役柄を、1ページずつ、1幕ずつ、文脈から取り出して理解することに、丸々1年を費やしました。長い時間をかけても20小節しか進まないこともありました。『トリスタンとイゾルデ』の音楽はとても複雑で、時には極端に入り組んでいます。何週間か続けていく内に、少しずつペースが速くなっているのに気が付きます。20ページ、または1幕に、1時間程度しかかからなくなっているのです。でも、そのような時が来るまでには何ヵ月もかかるかもしれません。
また、一時期譜面から離れて、音楽を心と体に浸透させることもとても有益です。役柄を自身の中にしっかり染み込ませるのです。それからまた譜面を開き、今度はそれが何を意味するかを新たな気持ちで見てみるのです。
新進気鋭のテノール歌手の方に私が是非言いたいのは、プロセスを急いではいけない、急げば自分自身と声に危害を加えることになる、と言うことです。ジークフリートとトリスタンは大役で、傲慢に聞こえたくはないのですが、非人間的ともいえる要求を歌い手に課します。ですから、自分が成長してこれらの役になりきるまで、自らに十分時間を与えることが必要なのです。これらの役が、人間の声を、今日私達が知っているところまで押し広げました。これらの役以上に、人の声の可能性を広げる物は存在しないのです。
私はイギリス南西部のコーンウォールの出身です。ご存知のように、『トリスタンとイゾルデ』の第1幕で、イゾルデをコーンウォールのマルケ王に嫁がせるため、トリスタンは船で王の城に向かっています。トリスタンという偉大な役は、テノール歌手にとってはレパートリーの集大成とも言えます。幸運にもこの役を歌えるタイプの声を持っていれば、この役は歌い手に、人間として自己表現する最大の機会を与えてくれます。第3幕の45分間に及ぶ場面では、人が感じ得るありとあらゆる感情が表現され、それには、この世を超越した彼岸的経験も含まれています。「Ich war wo ich von je gewesen, wohin auf je ich geh’. (「わたしがいたのは、この身にとっては常住の地で、わたしは遠からずそこに帰って行く」日本ワーグナー協会監修三光長治・高辻知義・三宅幸夫編訳『トリスタンとイゾルデ』白水社刊)」というせりふは、偉大な哲学者ジークムント・フロイトより50年も前に書かれているのです。ワーグナーはこの点で、少なくとも50年は時代に先んじていました。トリスタンが、私のタイプの声のために書かれた最も偉大な役であることに疑いの余地はありません。この役は既に65回歌っていますし、今後も多くの公演が待っています。この役を唄えるということは私にとって名誉であると同時に特権でもあり、唄うことをいつも楽しみにしています。
トレレーヴェン氏とワーグナー協会
杉山:トレレーヴェンさんは各国のワーグナー協会やその会員と接することがあると思います。それぞれの協会に個性があるので一概には言えないかもしれませんが、世の中のワーグナー協会にご提案やご要望はありますか?
J.T.:皆さんも私も、ワーグナーという同じ虫に噛まれた被害者同士なのでこう言っても良いかと思うのですが、私達は皆ちょっと狂っていますし、ワーグナー協会も少々クレイジーなのです。でも、皆さんの温かいご支援は本当にありがたく、私にとり、長年の間に大きな意味を持つようになりました。ワーグナー協会は、音程が外れたことを問題にしたり、良くなかった公演について論じる場ではありません。ワーグナー協会にとって重要なのは、ワーグナー作品を上演することを通じて成し遂げようとしたことの努力全体を分かち合うことで、そこにはとても人間的な側面があります。それだからこそ、今日私はここに来たのです。皆さんに、私からも少しお返しをしたいと思ったからなのです。
今後の活動予定と抱負
杉山:素晴らしいお言葉をありがとうございました。最後に今後のご予定について伺いたいと思います。このあと12月から来年1月までフランクフルトでダルベールの『低地(Tiefland)』の羊飼いペードロ役を唄われ、ハンブルグの『タンホイザー』、そしてトリノでの『トリスタンとイゾルデ』と続きます。今後の活動について抱負をお聞かせください。
J.T.:私のスケジュール表は2010年まで一杯ですし、とてもありがたいことだと思っています。ただ残念なのは、他の仕事があるため日本に帰って来られないことです。日本の歌劇場からオファーが来たのは悲しいことに遅すぎて、その時には既に、他の劇場との契約書にサインしてしまっていました。でも、是非また日本に帰ってきて、皆さんとお会いしたいと望んでいます。
『低地』についてはワクワクしています。これまで唄ったことのない役で、現在準備を進めています。とても美しい音楽で、テキストも素晴らしい作品です。テキストは宗教的な意味合いが強いので、現代社会で成立させるには少々困難な点がありますが、私にはこの役がとても興味深く思え、演じるのが楽しみです。トリスタンはいつもとても楽しみです。いずれ私にも、トリスタンに別れを告げなければならない日が来ますが、それがどのような物になるのか、今は全く見当がつきません。最後のトリスタンを唄う時に私が感じるのは、この偉大な役を唄う機会を数多く与えられたことに対する感謝の念であってほしいと思います。
また、既にお話した通り、『オテロ』を唄うのは私の大きな夢です。これについては日本で根回しをしていますので、ひょっとしたら実現するかもしれません。
杉山:ご活躍を心からお祈りいたします。今日はお忙しい中、素晴らしい歌に加えて色々とお話をお聞かせ頂き、本当にありがとうございました。日本ワーグナー協会はトレレーヴェンさんをいつでも心から歓迎しますので、また是非参加して頂ければ幸いです。<文責:堀内博美>